大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)6639号 判決 1988年3月22日
原告
中修
被告
谷島次雄
ほか一名
主文
原告の各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自原告に対し、金五二七万四八六〇円及びこれに対する昭和六〇年四月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 事故の発生
被告中井は、昭和六〇年四月一二日午前七時三〇分ころ、足踏式二輪自転車を運転して大阪市住吉区長峡町六丁目一番地先道路(以下「本件道路」という。)に通ずる道路を東進し、右折して歩車道の区別のない本件道路を北から南に向かつて走行中、自車を前方から対向歩行してきた原告に衝突させた(以下「本件事故」という。)。
2 責任
被告中井は、足踏式二輪自転車を運転して本件道路に通ずる道路を東進し、右折して歩車道の区別のない本件道路を北から南に向かつて進行しようとしたのであるから、前方を注視して自車を運転し、前方から対向歩行してくる歩行者との衝突を未然に防止すべき注意義務があつたものである。しかるに、同被告は、右折して本件道路に進入後、前方に対する注視不十分のまま自車を運転した過失により右折後かなり進行した地点において本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故により被つた後記損害を賠償する責任がある。
また、同被告は、被告谷島の従業員であり、同被告の業務を執行中に右過失により本件事故を発生させたものであるから、同被告もまた、同法七一五条一項に基づき、原告が本件事故により被つた後記損害を賠償する責任がある。
3 原告の受傷及び治療経過
原告は、本件事故により、左膝・左腸骨部打撲傷、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の傷害を受け、昭和六〇年四月一二日及び同年六月一〇日近藤医院に、同年四月一六日越宗整形外科病院に、同月一七日から同年五月末日までヨシダ接骨院に、同月八日大野病院に、同月二三日天理よろず相談所病院に、同月二四日ころから同年六月五日ころまで墨江整骨院に、同月六日辻外科病院に、同月一〇日から同年一一月六日まで大阪赤十字病院に通院し、同月七日から同年一二月三日まで同病院に入院し、その後も同病院に通院して治療又は施術を受けた。
4 損害
昭和六一年七月一一日までに原告に生じた損害は、次のとおりである。
(一) 治療費 金九万九六六〇円
原告は、前記治療期間中の治療費として、墨江整骨院に対し金二万六〇〇〇円、大阪赤十字病院に対し金七万三六六〇円の債務を負担した。
(二) 装具代 金一万六二〇〇円
原告は、前記大阪赤十字病院における治療期間中腰椎に装具の装着を必要とし、その費用として金一万六二〇〇円を支出した。
(三) 休業損害 金三〇〇万円
原告は、本件事故当時四四歳の健康な男子で弟とともに建築板金業を営み、月額金二〇万円を下らない収入を得ていたところ、本件事故による傷害のため昭和六〇年四月一二日から昭和六一年七月一一日までの一五か月間休業せざるを得ず、合計金三〇〇万円の得べかりし利益を得られなかつた。
(四) 慰謝料 金一六八万円
原告が本件事故によつて被つた精神的・肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、金一六八万円が相当である。
(五) 弁護士費用 金四七万九〇〇〇円
原告は、本訴の提起及び追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として、金四七万九〇〇〇円の支払を約した。
5 結論
よつて、原告は被告らそれぞれに対し、昭科六一年七月一一日までに生じた金五二七万四八六〇円の損害賠償金及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年四月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実中、被告中井が被告谷島の従業員で、同被告の業務を執行中に本件事故を発生させたことは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3の事実中、原告が本件事故により左膝打撲の傷害を受けたこと及びその主張のとおり近藤医院及びヨシダ接骨院に通院したことは認めるが、その余の点について傷害を受けたこと及び入通院状況は不知、左膝打撲以外の傷害と本件事故との因果関係は否認する。
(一) 本件事故の状況
被告中井は、本件事故当時、本件道路に突き当たる路地を足踏式二輪自転車に乗つて東進してきて右折し、本件道路に進入してほどなく前方直前に、折からの風雨を避けるため傘を低く前方に出してさし、前方を見ることができない状態で対向歩行してきた原告を初めて発見し、「危い」と叫んで急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に切つたが、原告も右自転車との衝突を避けようとして同方向によけたため、右折してから三、四メートル進行した地点で右自転車のハンドルと前篭が原告の傘に衝突し、右自転車が原告の左膝に当つたにすぎないものである。このように、被告中井は、右折のため速度を落としているので、衝突時の速度はせいぜい五、六キロメートル毎時程度のものにすぎず、衝突後も同被告は右足を地面につき、原告は前屈みになつただけで転倒することもなかつたのであるから、本件事故により原告が頸部や腰部を打撲するようなことはなかつたものである。
(二) 治療経過ないし原告の症状
原告は、事故当日の昭和六〇年四月一二日近藤医院で診断を受けたところ、左膝挫傷で約七日間の通院加療を要する旨の診断で、膝に腫脹や内出血はなく、レントゲン検査上も異常は認められなかつた。また、原告は、事故後五日目の同月一六日越原整形外科病院で診断を受けたが、左膝関節打撲で約七日間の通院加療を要するとの診断で、外表上の異常所見はなく、レントゲン検査上も異常は認められなかつた。このように、本件事故直後に原告が訴えていたのは、左膝の痛みだけで、その他の部位については何らの訴えがなかつたものであるが、同年五月八日大野病院で診察を受けた際初めて腰部痛を訴え、診断傷病名にも腰部捻挫が付加されることとなつた。しかし、その際の腰部の症状については、原告の訴える痛み以外に他覚的所見はなく、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の症状も認められなかつた。ところが、原告は、同年六月一〇日に至り、大阪赤十字病院において頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害との診断を受け、同日、前記近藤医院を再訪し、事故時に腰部付近も打撲した旨訴えて左腸骨部挫傷の診断を受け、その後も原告の訴えは増大の一途をたどり、引続き大阪赤十字病院に入通院して治療を受けているが、この段階においてはもはや膝の痛みは訴えておらず、専ら頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の治療のみが行われているのである。そもそも、一般に人が打撲を受けた場合、痛みは事故直後が最も激しく、その後は徐々に薄らいでいくものであるのに、原告は、事故から一か月近く経過してから初めて腰部の痛みを訴え、事故から二か月も経過してから坐骨神経痛の症状が発症し、しかも原告の訴えは増大の一途をたどつているのであつて、甚だ不自然かつ不合理な経過をたどつているのである。
のみならず、原告が大阪赤十字病院において診断を受けた病名中、頸椎骨軟骨症は、そもそも本件事故により打撃を受けた部位ではないばかりか、経年性の変化によつて生じたものであり、膀胱直腸障害は、泌尿器科における精密検査の結果膀胱に何らの異常はなく、単に尿の切れが悪いといつた程度の放置しておいても何ら支障のないものであつた。また、坐骨神経痛は、そもそも人体の裏側にある坐骨神経が圧迫を受けることによつて生ずるもので、腸骨部ないし鼠徐部を打撲することによつて大腿神経・動脈、鼠径靱帯などを損傷せずに坐骨神経を圧迫するような腰椎ないし仙椎の変形を生じさせることはありえないところ、原告には何ら右のような損傷はなかつたのである。のみならず、原告の坐骨神経痛を裏付けうるかに見られる他覚的所見は、<1>昭和六〇年六月一〇日のレントゲン検査において認められた第四、第五腰椎間の狭小化、<2>同年一〇月二日のレントゲン検査において認められた第三、第四腰椎間の変形、<3>同年一一月一三日の脊髄造影(ミエログラフイー)検査において認められた第五腰椎から第一仙椎にかけての不整の三つだけであるが、いずれも年齢相応の軽度のもので、坐骨神経痛を裏付けるものではないのである。
右(一)(二)に述べた事実関係に照らせば、原告の左膝以外の傷害と本件事故との因果関係は不明というほかなく、本件事故と因果関係のある左膝の打撲傷は、越宗整形外科病院で受診してから一週間後、遅くとも本件事故の一か月後である昭和六〇年五月一一日ころには治癒していたものである。
4 同4の事実中、原告がその主張の期間休業せざるをえなかつたことは否認し、その余の事実は知らない。
三 抗弁
1 過失相殺
原告は、前記のとおり、傘を低く前方に出してさし、前方を見ることができない状態で本件道路を歩行していて本件事故に遭つたものであるから、被害者たる原告にも前方不注視の過失があつたものであり、損害額の算定に当たつては、原告の右過失を斟酌して減額がなされるべきである。
2 弁済
被告谷島は原告に対し、本件損害賠償として金一〇五万五五〇〇円を支払つた。
四 抗弁に対する認否
抗弁1の事実は否認し、同2の事実は知らない。
第三証拠
本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 事故の発生
請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 責任
被告中井が足踏式二輪自転車を運転して本件道路に通ずる道路を東進し、右折して歩車道の区別のない本件道路を北から南に向かつて進行しようとしていたことは前記のとおりであるから、同被告は、前方を注視して自車を運転し、前方から対向歩行してくる歩行者との衝突を未然に防止すべき注意義務があつたものというべきである。しかるところ、成立に争いのない乙第一号証、原告本人(後記措信しない部分を除く。)及び被告中井本人の各尋問の結果によれば、被告中井は、本件事故当時、本件道路に通ずる前記道路を足踏式二輪自転車に乗つて東進してきて本件道路に進入し、右折して本件道路を南進しようとしたところ、折からの北から南への風雨を避けるため傘を低く前方に突き出してさし、前方を見ることができない状態で対向歩行してきた原告を初めて発見し、「危い」と叫んで急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に切つたが、これに気づいた原告が右自転車との衝突を避けようとして同方向に寄つたため、右折してから、三、四メートル進行した地点で本件事故を発生させたことが認められ、右認定に反する本件事故発生の地点は被告中井が前記角を右折して本件道路に進入してからもつと進行した地点であるとの原告本人尋問の結果は、方位の認識にさえ混乱のみられるあいまいな内容のもので、その述べるように長い距離原告と被告中井が対向した状態で互いに進行していたとすれば、事故直前まで互いに相手の存在に気づいていない(この点は、原告及び被告中井の各本人尋問の結果により認められ、これに反する証拠は存在しない。)ことはいささか不自然であるうえ、右のように前方にさして前が見えない状態で歩行していた原告が正確に衝突地点を把握していたというのもいささか不自然であつて、より合理的な事故状況を述べる右の各証拠に照らして信用することができず、他に右認定を左右し得るような証拠は存在しない。右の事実によれば、被告中井は、前方に対する注視を怠つた過失があり、この過失によつて本件事故を発生させたものと認められるから、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。
また、同被告が被告谷島の従業員で、その業務を執行中に本件事故を発生させたことは当事者間に争いがなく、被告中井に過失の存したことは右に認定したとおりである。したがつて、被告谷島もまた、民法七一五条一項に基づき、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。
三 原告の受傷及び治療経過
1 原告が本件事故により左膝打撲の傷害を受けたことは当事者間に争いがないところ、原告は、本件事故により左腸骨部打撲傷、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の傷害をも受けたものであると主張し、被告らはこれを争うので、この点につき判断するに、成立に争いのない乙第二ないし第四号証、第六号証の一、二、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一五号証の一ないし二九、第一八号証、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の一ないし六、第三号証の一ないし二五、第四号証及び証人大庭健の証言によれば、原告は、本件事故直後被告中井に対し腰部の痛みをも訴えていたこと、原告は、本件事故当日である昭和六〇年四月一二日及び同年六月一〇日近藤医院に(この事実は当事者間に争いがない。)同年四月一六日越宗整形外科病院に、同月一七日から同年五月末日までヨシダ接骨院に(この事実は当事者間に争いがない。)同月八日大野病院に、同月二三日天理よろず相談所病院に、同月二四日ころから同年六月五日ころまで墨江整骨院に、同月六日辻外科病院に、同月一〇日から同年一一月六日まで大阪赤十字病院に通院し、同月七日から同年一二月三日まで同病院に入院し、その後も同病院に通院して診療又は施術を受け、近藤医院においては大腸骨部挫傷と、大野病院においては腰部捻挫と、天理よろず相談所病院においては腰部打撲症と、大阪赤十字病院においては頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の各診断を受け、墨江整骨院においては腰部への施術も受けていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右の事実によれば、原告は、本件事故により、左膝の打撲傷のみならず、その主張するように左腸骨部打撲傷、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の傷害をも受けたものと推認するのが相当であるかの如くである。
2 しかし、他方前掲の乙第二ないし第四号証、第六号証の一、二、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一八号証、原告主張どおりの写真であることに争いのない検甲第一号証、証人大庭健の証言、原告本人(後記措信しない部分を除く。)及び被告中井本人の各尋問の結果によれば、次の各事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は右の各証拠に照らしてにわかに信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 衝突直後、被告中井は、自転車ごと右に傾き、右足を地面についた状態になつたが、特段の衝撃も転倒するようなこともなく、右自転車はもとより、その前につけていた空の前籠が損傷を受けるようなこともなかつた。また、原告は、衝突直後前屈みになり、所持していた傘の骨が折れ曲つていたが、しやがみ込んだり、転倒したりするようなことはなかつた。
(二) 被告中井は、衝突直後原告が「どないしてくれるんや。」というので、事故現場に原告を待たせて約一〇〇メートル離れた自己の勤務先へ相談に行つたところ、原告は、自ら歩いて右被告中井の勤務先にやつてきて上司に症状を訴えるとともに医者に連れて行くことを要求し、以後週二回位の割合で右勤務先を訪れ、来れば二時間位そこにとどまつていた。
(三) 原告は、事故当日訪れた近藤医院において、膝の痛みを訴え、同所に圧痛は認められたものの、腫脹や皮下出血その他の異常所見はなく、腰部の痛みなどその異常を訴えることもなかつた。したがつて、同医院医師は、原告の傷害は、せいぜい通院加療七日を要する左膝挫傷と診断したものであつて、将来原告に頸椎骨軟骨症や膀胱直腸障害の症状が生ずることは思いもよらないことであつた。もつとも、同医院医師は、それから約二か月後の昭和六〇年六月一〇日に至つて原告の診断傷病名に左腸骨部挫傷を追加したが、右は大阪赤十字病院に転医した日と同じ日で、同医院医師は、その後原告が腰部の疼痛を訴え出したことに照らして経時的に痛みが現れる可能性もあり、腰部の挫傷があつたかもしれないものと考えて右傷病名の追加をしたが、これは実際に原告を診断して傷病名の追加をしたものでなく、原告の申出に基づいてしたものであつた。
(四) 原告は、前記のように近藤医院に一日通院したのちに越宗整形外科病院に転医したが、右転医は専ら原告の意思によるものであり、同病院における原告の訴えも、左膝関節部の痛みだけで、腰部についての訴えは全くなかつたうえ、膝のレントゲン検査上も異常所見がなく、同病院における診断も左膝関節打撲で通院加療七日間を要するというものにすぎなかつた。
(五) また、原告は、前記のように右病院に一日通院したのち大野病院に転医したが、右転医もまた専ら原告の意思によるものであつた。原告は、同病院において初めて腰部の異常を訴え、左膝打撲とともに腰部捻挫の診断を受けたが、そこにおいてみられた自覚症状は、階段昇降時の左膝内側・上部、腰部の痛み、他覚症状は、膝蓋骨を大腿骨に押しつけたときの痛み、左傍脊椎筋群の圧痛、左下肢伸展時の痛み(挙上九〇度)にすぎず、膝関節の可動制限、腫脹その他外表上の異常、下肢の筋力及び反射検査上の異常その他腰部についての異常などはなかつた。したがつて、同病院医師は、原告の症状は一、二週間程度の通院加療で軽快するものと考え、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の症状を示すようなものを認めなかつた。
(六) 次いで、原告は、前記のように右病院に一日通院したのち、天理よろず相談所病院に転医したが、右転医もまた専ら原告の意思によるものであつた。右病院において、左膝蓋部及び腰部の痛みを訴える以外に原告には格別の訴えはなく、格別の他覚的所見も認められなかつた。
(七) 更に、原告は、前記のように右病院にも一日通院しただけで辻外科病院に転医し、右病院にも一日通院しただけで大阪赤十字病院に転医したが、右の各転医もまたいずれも専ら原告の意思によるものであり、右辻外科病院におけるレントゲン検査において、原告には、腰椎に軽度の側彎があり、したがつて、第三、第四椎間板に左右差が認められたが、それ以外の異常所見は認められなかつた。また、大阪赤十字病院における脊髄造影、レントゲン検査において、原告には、第五腰椎、第一仙椎の神経根嚢の左右差、第五腰椎と第一仙椎間の椎間板の後方への突出、第三ないし第五腰椎の狭少化、第六、第七頸椎の変形が認められたが、それ以外の異常所見は認められなかつた。右の各変形は、いずれも年齢相応のもので、これにより神経根を圧迫して前記症状を発症させることはありうるが、必ずしも症状が出るものとは限らないもので、手術を必要とするようなものではなかつた。また、右の各変形は、本件事故によつて生ずる可能性はあるが、加齢現象として生ずることもあり、脊髄造影、レントゲン検査によつてその原因がいずれであるかを明らかにすることはできないものであつた。大阪赤十字病院における原告の主訴は、膝については荷重時を除けばほとんどなくなり、腰痛が中心で、左坐骨神経痛、左下腫部痛、膀胱直腸障害などを訴えたが、右の訴えは、通常の場合と異なり、当初は少なかつたのに次第に増大していき、昭和六〇年一一月一三日の脊髄造影の辺りをピークにまた減少していき、昭和六一年一〇月二七日ころには著しく軽減したというものであつた。原告の右の訴え中、膀胱直腸障害については、泌尿器科を受診した結果、単に尿の切れが悪いというごく軽度のもので、器質的なもの又は仙髄神経そのものに異常はなく、放置しておいても何ら差支えない程度のものであると診断されたうえ、右の障害は、外傷によつても生じうるが、その他の原因によつても十分生じうるものであつた。また、頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛については、右のような脊髄造影及びレントゲン検査上の所見のほか、これに見合う各所の圧痛、筋緊脹、神経学的諸検査上の所見が認められ、その程度も前記の主訴の変遷とほぼ同じ変遷を示したが、これ以外に本件事故と原告との症状を結びつけるような所見は見出されなかつた。もつとも、右病院に入通院中、原告には下腹部から鼠径部にかけて膨隆がみられたが、大腿神経・動脈や鼠径靱帯に何ら異常がなかつたので、坐骨神経痛とは関係がなく、特に異常と認められるようなものではなかつた。そして、以上を通じ、原告に対してなされた治療は、痛み止め、頸椎及び腰椎の牽引、ホツトパツクといつた程度のものにすぎなかつた。
3 右2に認定した事実及び前記一、二の事実によれば、原告が本件事故によつて受けた衝撃の程度はそれほど強いものではなかつたものと認められるところ、原告は、本件事故の直後から継続的かつ執拗に被告中井の勤務先を訪れて種々の要求などをし、また長期間にわたつて転々と病院を訪れて種々の訴えを繰り返し、しかもその症状は、事故後約一か月もしてからそれまで全く医師に対する訴えのなかつた腰痛や膀胱直腸障害などを次々と訴え、その症状も増大の一途をたどり、本件事故により何ら衝撃を受けるはずのない頸椎の損傷によると思われる主訴もあるといつた不自然なものであるうえ、原告がもともともつていた腰椎、仙椎、頸椎の変形によつて本件事故と関係なく前記の症状が発症した可能性も十分あるといつたものであつたことが認められる。してみると、前記1において認定した事実から原告が本件事故によつて頸椎骨軟骨症、坐骨神経痛、膀胱直腸障害の傷害をも負つたものとまで認めることができず、他にこれを認めうるような証拠もないから、右の点についてはその証明が不十分というほかないものである。
4 原告が本件事故によつて左膝打撲の傷害を受けたことは前記のとおりであるところ、前記一ないし三で述べた本件事故の状況、通院状況、症状に照らせば、原告の右傷害は、本件事故の日から一か月を経過した昭和六〇年五月一一日には治癒していたものと認めるのが相当である。
四 損害
1 休業損害
原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第五号証によれば、原告は、本件事故当時四四歳の健康な男子で、弟とともに建築板金業を営み、月額二〇万円を下らない収入を得ていたことが認められる。そして、右認定の原告の職業及び前記認定の本件事故によつて原告が被つた傷害の内容・程度に照らせば、原告は、本件事故による傷害のため昭和六〇年四月一二日から同年五月一一日まで休業せざるを得ず、金二〇万円の得べかりし利益を得られなかつたものと認められる。
2 慰謝料
本件事故によつて原告が被つた傷害の内容・程度その他本件において認められる諸般の事情に照らせば、原告が本件事故によつて被つた精神的・肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、金一五万円と認めるのが相当である。
五 過失相殺
原告が傘を低く前方に出してさし、前方を見ることができない状態で本件道路を歩行していて本件事故に遭つたことは前記のとおりであるから、被害者たる原告にも前方不注視の過失があつたことは明らかというべく、原告の右過失を斟酌してその損害額から三割の減額をするのが相当である。
六 損害の填補
成立に争いのない乙第一〇号証の一、二、第一一、第一二号証、第一三号証の一、二、第一四号証、第一五号証の一ないし二九(九ないし二九は前掲)、第一六号証の一ないし三、第一七号証の二ないし四、弁論の全趣旨及びこれにより原本の存在及び成立の真正が認められる同号証の一によれば、抗弁2の事実が認められる。してみると、原告の被告らに対する本件事故に基づく各損害賠償債権は、すべて填補されて消滅したことが明らかである。
七 結論
以上の次第で、原告の本訴各請求は、理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山下満)